トルコに暮らす育児ママの美道

海外(トルコ)だけど、ママだけど(3歳、0歳)、ほぼワンオペ育児だけど、女を捨ててたけど、やっぱり綺麗になりたい!!!だって女(の子)だもん。

愛の循環-みんなの心がポカポカしたらいいね

迷惑をかけてはいけない。という言葉がある。
子どもは、手がかかるしお行儀良くも座っていないし、うるさいし。
社会から見ると迷惑の塊かもしれない。


だけど、幼い子どもたちは、もっともっと大切に扱われるべきだと思う。
親からも、他人からも可愛がられて、あったかい心を持って成長したら、また自分も周りの幼い子を、可愛がるにちがいない。
あったかい大人を見て、早く大人になりたいなと、子どもも歳を重ねることを喜ぶし、そういう子どもたちが高齢になったときには、健康でいられるらしい。セルフイメージが、老いた!ではなくて、人間として成熟した!と思えるかららしい。


トルコは、物質的にはまだ、日本ほど豊かではないけれど、子どもに、とても寛容で親切。
うちの子も、みんなの宝として、育ててもらっている。


ある日、我が子が店の中で大泣きした時、私は隣の女性がびっくりして振り返ったので、謝った。そしたら、またびっくりして、謝らなくて良いのよと言ってくれた。

とても可愛いと言って、あやしてくれた。


人を助けることが徳を積む。というイスラムの宗教的な考えもあるのかもしれないけど。そんなことが理由で親切をしてるとは感じない。人間の優しい気持ちが素直に現れてるように感じる。


生まれながらにして、その優しさが心の中にあるのか、誰かから受け継いできたのか、私は後者だと思う。


経済的に貧しい人、身体的な障害を持つ人(目に見える貧しさ)には、人は優しい。
でも、心の貧しい人(目に見えない貧しさ)には、人は冷たい。嫌な人!と言って離れてしまう。
愛情が足りずに育った人は、ずっと渇いているような状態になって、大人になっても嫉妬したり、トラブルを抱え、心が満たされない。外へ怒りが向かう人は攻撃的で、内側へ怒りが向かう人は鬱になるんだとか、、。


私は卒論で、福祉国家について書いた。当時の私は、経済的格差はどうやって是正すべきなんだろうかと、考えていた。
だけど、福祉をどんなに充実させて、予算を投入して、国の制度を整えても、心が貧しければ、人は幸せにはなれない。
親から愛情をもらえない子には、例え、それが他人の子どもでも愛情を注いであげる。
それが大事じゃないかなと思う。


「愛は寛容であり、愛は親切です。また人を妬みません。」(聖書のことば)
いま一度、この言葉の意味を考え直している。