トルコに暮らす育児ママの美道

海外(トルコ)だけど、ママだけど(3歳、0歳)、ほぼワンオペ育児だけど、女を捨ててたけど、やっぱり綺麗になりたい!!!だって女(の子)だもん。

今、ここ。

今を生きる。

 

これが、本当に難しい。

いつも、舞台の予行練習をしているような人生を送る人が多いのだそうだ。

例えば、「あの高校に受かれば幸せ」→「あの大学に受かれば一安心」→「いい会社に入れば幸せ」→「結婚したら幸せになれる」→「子どもが生まれたら幸せだろうな」→「キャリアを積んで社会的にも成功したいな」etc…

人によって様々な目標があるけれど、私のはこんな感じ。だったかな?(笑)

 

つまり、その時その時を、満足せずに生きているということ。未来のことばっかり考えて、不安になったり、周りをキョロキョロ見回してみたり。

そんなこと、続けてたら、予行練習している間に、本番の舞台に立つことなく、人生は終わってしまうんだ。

幕が開く前に、人生が終わってしまうんだ。

 

でも、そういう生き方をしている人が、本当にたくさんいるっておもう。

 

ちなみに、それと同時に、私は過去に囚われてもいた。

私は、20歳の時に失恋して、それはそれは大変な精神状態になってしまった。

ひきこもって、ごはんも食べられない。眠れない。お風呂も入れない。

でも、これも私だけじゃないはず。(笑)

 

彼を引きずって長いこと忘れられなかった。けど、忘れなくてもいいかなと思って、今は良き思い出として心にしまっている。

 

しかし、当時はいつも思い出しては、過去に戻りたいと祈り(←重症)、その時を生きていなかった。

 

人には、「今」しか存在しない。

「過去」は存在したものであって、存在しているものではない。

「未来」は存在するかどうかさえ不明。(1秒後に隕石が落ちるかもしれないし)

 

そんな当たり前のことが、最近まで分からなかった。

目の前のことだけに集中する。

食べているごはんの粒の一つ一つを舌で感じる。風が頬をどんなふうに撫でるのかを感じる。自分の呼吸を感じる。頭を空っぽにする。(瞑想)

そう、瞑想がどんなに有効で、どんなに難しいかも知った。

 

今を感じると、今が愛おしい。

 

子どもが毎日成長する。一瞬も見逃したくない。今を生きなくては、見逃し続けてしまう。

子どもの成長は、ドラマの見逃し配信のようなことは、誰もやってはくれない。

今、ここ。ここを生きる。ここで生きる。

例えば誰かと話をしていて、同時に、頭の中で「あー、家事がたまってるな、あれもしなくちゃ、買い物にも行かなきゃ、今日の夜ごはん何にしようかな~」と考えていたとする。そうすると、その人は、その時を生きていない。その場に居るのかさえ不明だ。

 

 

感じることさ、それが全てさ。(福山雅治「それがすべてさ」より)

 

自分を囚われの身にするのも、自分。また、自由に生かすのも、自分。